2025.07.31
【特集083】
提供:ヘラルボニー(左からヘラルボニーCo-CEO 松田崇弥、HERALBONY EUROPE CGO 小林恵、HERALBONY EUROPE CEO 忍岡真理恵)
岩手県盛岡市を拠点に、「異彩を、放て。」をミッションに掲げ、障害があるアーティストたちとともに、障害※のイメージを変容して新しい文化をつくることを目指すヘラルボニー。2024年夏には日本企業で初めて「LVMH Innovation Award2024」でEmployee Experience, Diversity & Inclusionカテゴリ賞を受賞して、9月にはパリにHERALBONY EUROPEを設立し、本格的にグローバルな事業展開が始まっています。国際的な企業支援アワードへのチャレンジを経てヨーロッパ進出を果たしたHERALBONY EUROPEのCEOである忍岡真理恵さんに、ヘラルボニーの取り組みや国際交流におけるアートの可能性についてお話を伺いました。
※本記事中の「障害」という表記について:「障害」の概念を変えることを目指す企業として、社会側に障壁があるという考え方に基づき、その所在を社会に問題提起したいというへラルボニーのワーディングスタンスに準じて、あえて「害」という漢字を用いて「障害」という表記で統一しています。「障害」という言葉については多様な価値観があり、それぞれの考えを否定する意図はありません。
−2024年の「LVMH Innovation Award2024」での受賞おめでとうございます。今日は「アートで考えるダイバーシティとインクルージョン」をテーマに、ヨーロッパ進出を果たしたヘラルボニー様にさまざまなお話を伺っていきたいと思いますが、まずは御社のこれまでの概要をお聞かせいただけますでしょうか。
忍岡真理恵さん(以下、忍岡):ヘラルボニーは、障害がある作家のアート作品を企業様や自社ブランドに活用してビジネス展開しています。ビジネスモデルは非常にシンプルで、私たちが保有するアートデータを著作物として、さまざまな企業様や自社ブランドのプロダクトに展開して使わせていただく。そしてその使用料が弊社を通して作家に戻っていく、私たちのビジネスが伸びれば伸びるほど作家に収入が入ります。
提供:ヘラルボニー
会社設立の背景には、創業者の松田文登と崇弥という双子の兄弟、そして彼らの4歳上の兄、翔太さんのストーリーがありました。翔太さんには重度の知的障害を伴う自閉症という先天性の障害があります。ごく普通の3兄弟として暮らしているお兄さんが、一歩外に出ると全く違う扱いをされることに、二人は強い違和感と憤りを抱いていました。知的障害のある人やその家族がありのままに暮らせる世界をつくりたいというのがヘラルボニー創業時のパッションで、それは今も変わりません。このエピソードを何度も話す中で改めて感じるのは、障害がある方ない方、さまざまなバックグラウンドを問わず、「誰もに価値がある。人間そのものを肯定する社会をつくる会社」だということ。ヘラルボニーという社名も、実は翔太さんの雑記帳から発見された謎の言葉です。意味はわかりませんし、検索してもヒットしない。でもご本人にはものすごく意味のある単語なんですよね。私たちの社名には、一見意味がないかもしれないものを価値のあるものとして世の中に提示したい、という思いが込められています。
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−アーティストの作品をプロダクトに展開する上で、大事にしていらっしゃることをお教えください。
忍岡:例えば創業時に手掛けたネクタイの場合、作品を単にシルクプリントすればいいという話ではありません。クレパスで塗ったカスレや、ボールペンでぐるぐる描いた線の描写など、元の作品の色合いや質感、素晴らしさがいかにプロダクトに投影されているかが重要だと考え、表現の再現に力を注いでいます。最終的にネクタイはプリントでなく、老舗織物店のシルク織り技術で絵柄を表現して苦労してつくり出しました。当然高価になりますが、本当に良いものには相応の価格を払うべきだと発信するためにも、こだわり抜いてつくっています。
ヘラルボニーが営利企業として、作品の価値の対価としてお金をいただく姿勢で取り組んでいることはある意味チャレンジなんですね。一般的に、障害がある人がつくったものは安価で売られていることが多いのですが、それはすごくおかしなことではないでしょうか。そうした概念を変え、綺麗なもの、かっこいい作品には相応の価格をつけるべきだという考えが根底にあります。一方で私たちのプロダクトには「障害がある人が描いた」という表記はありません。店頭で「素敵だな」「かっこいい」と手にとって、店員さんとお話したり、パンフレットを見たりする中で初めて気づいてパラダイム転換や驚きを体感してもらうことを意識しています。
また、高級百貨店に出店していることにも理由があります。障害がある人やご家族にとって百貨店はハードルが高くて、声出しちゃうとか走っちゃうとか、普通でない活動をしてしまうことを心配して行ったことがないという方が多いんですね。あえて百貨店に出すことで「ヘラルボニーが出店しているなら私たちも行けるね」と来てくださる方もいると考えています。
何よりアートとして評価されることを大切にしていますから、展覧会の開催や企業様とのコラボレーションなど、さまざまな取り組みを行っています。作家たちは私たちにとってビジネスパートナー。対等で持続可能なビジネスモデルにすることを常に意識していますね。
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−2024年は海外での大きな飛躍の年となったわけですが、もともとグローバル展開を視野に入れていらっしゃったのでしょうか。国際交流という視点を踏まえると、アートは言葉を介さずとも伝わる世界だと言えるのでしょうか? 忍岡さんのお考えをお聞かせください。
忍岡:私たちのビジネスモデルは、日本だけにとどまらずユニバーサルに推進していくべき価値観だと考えていました。「世界へ打って出るぞ」というよりも、「世界のみんなが必要としている」という方が近かったと思います。それはまさに言葉で伝えるものでなく、パッと見て3秒で「かっこいい」と感じるかどうか、理屈ではなく感性に訴えるもの、絵を見て感動する、それを大事にすることがヘラルボニーのクリエイティブの信条です。そういう意味では当然、「アートで、国境は越えられる」と考えていたんですね。創業時、国内での活動もまだ小さかったものの、グローバル展開したいという思いはずっとありました。今こうして「LVMH Innovation Award2024」での受賞を経てフランスに拠点ができ、日本が大切にしてきた美意識やクリエイティブの新しい価値観を日本発で海外へ持って行けることを、日本人として誇らしく思っています。
現在日本では54施設243名の作家(2025年1月時点)と契約させていただいていて、海外ではパリ、ドイツ、ベルギーの3施設とパートナー締結が進んでいます。2025年はさらに広がりそうですね。
−海外進出のきっかけとプロセスについて、少し詳しくお聞かせいただけますでしょうか。
忍岡:きっかけは、2023年5月のフランス渡航でした。経済産業省の政策の一つでフランス出張に多くのスタートアップ企業が同行する機会があり、弊社代表の松田崇弥も参加したのです。フランスでは経済産業省の方が縁を繋いでくださって、世界のアール・ブリュット※を牽引するアートギャラリーのオーナー、クリスチャン・バーストとの出会いがありました。この領域のエキスパートであるクリスチャンが私たちのビジネスモデルを評価してくれたことは、とても大きな自信となりました。また、シャンゼリゼ通りのおしゃれなカフェでダウン症の従業員の方が働いていたりと、フランスのさまざまな空気に触れて可能性を感じ、「絶対にパリでやろう」という意識が高まったんです。
そしてLVMHのような世界的なブランドとのコラボレートを目指すには、世界各国の革新的なスタートアップ企業を評価する「LVMH Innovation Award2024」があるという情報を得てアワードへの応募が決まり、帰国後、懸命に準備を進めて1545社の中からファイナリストに選出され、そして受賞に至りました。その流れにのって2024年7月にHERALBONY EUROPEを立ち上げたというのが海外へ出る経緯です。
※正規の芸術教育を受けていない人によるアート
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−日本企業では初となる受賞に至った「LVMH Innovation Award2024」のチャレンジに際しては、いろいろご苦労もあったのでしょうか?
忍岡:そうですね、私たちがノミネートされることそのものが特殊だったと思います。というのも、「LVMH Innovation Award2024」が開催されるのは、最先端のテクノロジーやサービスが紹介される世界的なイベント「VIVA TECHNOLOGY」の一環なのです。AI、サステナビリティ、モビリティといった領域をメインに行われるイノベーションアワードに、弊社のような特許もすごいテクノロジーもない会社が参加すること自体がものすごく特殊でした。ですから、ヘラルボニーのストーリーや想い、アートの価値、日本国内での実績を一生懸命プレゼンテーションする中で、日本のLVMHさんの中に応援者がどんどん現れて本国へ推薦してくれて受賞へ至りました。
「イノベーションアワードなのに、私たちはノーテック、ノーAIで何もないにもかかわらずよく選んでくださいましたね」と聞くと、「アートを使った今までにないビジネスモデルこそがイノベーションだ。クリエイティブの力、美の力をイノベーティブに使っていることは、このアワードの本流だよ」と言っていただいて嬉しかったですね。私たちのビジネスモデルは、人間の仕事をAIが代替して効率化を推進しようとする世の中で、あえて人間が描いたからこそ意味があるという価値観を全面に押し出すアプローチです。現地来場者の皆さんからも「ヒューマニティに対するサンシャイン(太陽の光)のようなビジネスだね」という嬉しい言葉をいただきました。
提供:ヘラルボニー
−アワードへのチャレンジからHERALBONY EUROPE設立にあたって、現地の方々との交流があったと思いますが、国際交流という視点で印象に残っているエピソードはありますか?
忍岡:現在は、ヨーロッパのさまざまな企業様と商談を進めている最中ですが、私たちのビジネスモデルに対して、予想以上に理解が早く、その価値を認めていただいていることに驚いています。というのも、当初はどこまで理解されるのか、受け入れてもらえるのかと心配していたんですね。フランス、ベルギー、ドイツで、障害がある作家がいらっしゃる福祉施設を巡ると皆さん大歓迎で、「ずっとアートを頑張ってきた」「描くことに意味があると思っている」「作家たちが何とか報われてほしい」という思いを口にされました。同時に、どこの施設でも「アートをどこまで発信できるか?」「描いてどうなるのか?」という葛藤も抱えていらっしゃる印象でしたね。ヘラルボニーの新しいアプローチが成立していることに驚くとともに、ポジティブに「一緒にやろう」と言っていただけたことをとても嬉しく思っています。
また、今回ヘラルボニーが毛色の異なるフィールドで露出されたことによって、国連アジア支部の会でスピーチする機会をいただいたり、タイやアフリカなどそれぞれの国で取り組んでいる方からアクセスがあったり、多くの新たな接点が生まれています。
フランスで活動を始めて興味深く思っているのは、意外にもフェイスtoフェイスでないと話が進まない、オンラインでは本気になってくれないことですね。日本で海外とのビジネスといえば、効率重視のアメリカ型をイメージするのですが、フランスでは対面に価値を置く、全く違う世界観があると感じています。
−秋に、パリのファッションウィークに合わせて開催されたという展覧会では、一般の方々の反響はいかがでしたか?
忍岡:パリの中でもギャラリーがたくさんあるマレ地区の、クリスチャン・バーストのギャラリーで開催したのですが、会期中はファション関係者、フランスの企業の方々や福祉施設の方はもちろん、地元の方々がふらっと訪れて熱心に絵を見てくださって、「これは買えるの?」「どういう描写なの?」と積極的に質問もしてくださいました。フランスではアートを見ることが日常なんですね。「素晴らしいアートがあれば価値を認める」という言葉が不要なアートの力を改めて実証することができた思いです。
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−世界という舞台でアートが拓く可能性について、「ダイバーシティとインクルージョン」をキーワードに、改めてお考えをお聞かせいただけますか。
忍岡:ヘラルボニーが提示するのは、「人間、命ある人は、対等である」ということ。資本主義、効率性、能力主義という価値観が行き過ぎた社会で「あの人は価値がない」という声にアンチテーゼを投げかける会社です。それはすごくシンプルで力強い。当たり前のことを日本人らしいアプローチでできるといいですよね。一方、営利企業としては難しさもあって、例えば、聴覚障害のある方のために、会議に手話通訳を入れる、字幕付きリモートシステムを使うといった、効率だけ考えると一見無駄なこともあります。でも、資本主義の中で最終的に生き残れるかどうかを証明したいですし、多様性があるからこそいい会社であると表明していきたいですね。
−「シンプルで力強いことを、日本人らしいアプローチで......」とおっしゃいましたが、忍岡さんが考える「日本人らしさ」とは何でしょうか?
忍岡:私にとっての「日本人らしさ」は、アメリカとの比較によるものが大きいですね。アメリカで育って、アメリカへ留学したというバックグラウンドもあって、また前職はIT系の会社でしたので、どうやってアメリカに追いつくかという世界で生きてきました。一方の日本には伝統も歴史もあって、自然を愛し、四季を感じながら暮らすという感覚がありますよね。成果が出ないと切り捨てる、といった能力主義も日本的ではないと思います。
フランスの「VIVA TECHNOLOGY」はアメリカ的な資本主義、効率性、能力主義を象徴するような側面もあるイベントですが、その期間中にフランスの方々と話して感じたのは、「フランスが持っている伝統と文化には素晴らしい価値があって、実際のところAIって意味があるのか?」と、世界の大きな流れに疑問や葛藤を抱いているということでした。それは、日本人が持っている感覚にとても似ていると直感的に思ったのです。もっと日本人らしく自信を持って、「多様性を肯定する社会をつくる」というヘラルボニーのやり方を打ち出せばいいのではないか、という思いをより強くしました。
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−一方、2024年は日本国内で「HERALBONY Art Prize」も開催されましたね。どういう経緯で始まったのでしょうか?
忍岡:会社がグローバル化するからには、当然、アーティストの作品も世界中から集めることを求められます。そこで、ヘラルボニーが「障害がある方のアート」にフォーカスしていることを世界へ発信していく活動の一つとして、世界中の障害のある表現者を対象とした国際アートアワード「HERALBONY Art Prize」を2024年1月31日(異彩の日)に創設。初年度は、エチオピアやトンガをはじめ世界28の国と地域から924名の作家から出品されました。
その「HERALBONY Art Prize」の授賞式は、とても象徴的な場となりました。スポンサー企業のCEOの方々をご招待して開いたセレモニーでは、障害がある作家たちもみんなドレスアップして経済界のエグゼクティブの皆さんと並んで円卓を囲んだのですが、受賞スピーチを順番にしていく過程でも、「あーっ」って騒いじゃったり、呼ばれても全然来なかったり、後ろを向いちゃったりとか、みんなそれぞれ思いのままに振る舞うのですが、周りはごく普通にそれを受け止めている。何の区別も判断も評価もなく、同じ時間を共有できたあの素敵な空間は、ヘラルボニーがつくりたい「境界のない世界」そのものだったんです。
−最後に、今後のビジョンをお聞かせください。
忍岡:HERALBONY EUROPEのビジョンとしては、「ブランドが評価されて、アーティストたちの作品が認められる世界をつくる」ことが最優先だと考えています。大事にしたいのは、ヘラルボニーがキュレーションするアーティストたちが、アートの世界でスポットライトを浴びること。そのために数年にうちに実現したいのは、「世界的に評価されているブランドとのコラボレーション」や「アートプライズの海外展開」、あるいは「ポンピドゥーやルーブルといった有名な美術館にヘラルボニーのアートを所蔵」といったことです。そして何よりヘラルボニーの生命線は、アーティストの皆さんとのネットワークです。今はまだ、日本を入れて4カ国のみの契約ですので、30カ国、50カ国へと拡大していきたいですね。
もう一つはまだ夢の段階ですけれど、3年後くらいのアートプライズでは、アーティストの皆さんが世界中から盛岡へ集うというような状況をつくることができたら最高ですね。スポンサーがつけば実現可能な話だと思っています。世界のいろいろな方が集まって、盛岡の地で心が通い合うようなコミュニケーションが発生する、そんな世界観を発信していけるといいなと思ってます。
−本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
提供:ヘラルボニー
忍岡真理恵 Marie Oshioka
HERALBONY EUROPE CEO
2009年経済産業省入省、留学を経てマッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社で事業戦略などに携わる。その後、株式会社マネーフォワードにて事業開発、社長室長、IR責任者を務める傍ら同社のESGやダイバーシティ活動を推進。2023年ヘラルボニー参画。米国ペンシルベニア大学ウォートン校MBA(経営学修士)修了。2024年9月よりHERALBONY EUROPEのCEOとして就任。